今週のお題「爺ちゃんと婆ちゃんに送るわたしのプレイリストagain」
~初めに~
はてなブログに「今週のお題」というものがあることを知り、見てみたら、、
な、、
ななな、、、
なんと、、、
今週のお題は、、、、
「わたしのプレイリスト」
わたしの為にある。
だってそれしか書いてないんだもん!このブログ。
それじゃ新しいプレイリストを作ろうと思ったりもしたんですが、
一番最初に作ったプレイリストをもう一回載せさせて戴きます。
同じものでも何なんで、前置きを長くしてみます。
~白血病になりまして、、~
私、昨年白血病という病気になりまして、現在、療養をしております。
ま、簡単に言うと当時38歳のサラリーマンが2020年3月に「あれ調子悪いなぁー」と思って救急車で運ばれたら、急性骨髄性白血病という病気の診断をされました。
その後、何やらかんやら抗がん剤治療とか放射線治療やら臍帯血移植やら色々な人から色々なご助力を頂きながら現在は自宅療養までいくことがこなせるようになりました。
入院中は無菌病棟という所に入院をしており、コロナ禍という状況もあり、面会も出来ず寂しい思いをしていました。
入院中の患者さんを見てみるともっと大変な状況の方は沢山いました。
スマホも持っていなければ、パソコンもない。
そういう方もいるんですよ。
そういう方が何をしているのか覗いてみると、
喋りかけているんですよ、
テレビに向かって、
毎日。
僕は思うんです。
病気になって「死ぬかも」と考えました。
てか今でも再発の可能性を感じながら、人様より死ぬ確率は高いんでしょう。
でもね、病気になることが不幸なのではなく、
精神的な苦しみの方がよほど辛いということ。
同じ寿命でも孤独な人生か、大事な人に囲まれる人生か。
こんな所に大きな違いを感じます。
大事な人。
いえ、大事な人だけではありません。
大事なものや思い出もです。
老人ホームで働く母親からこんな話を聞いたんです。
ピアノが弾ける母親は入居者に対してピアノのリクエストを伺うとよくリクエストされる曲があるそうです。
そして、その曲を母が弾くと歌う方や泣いてしまう方がいるそうです。
音楽は思い出の架け橋です。
音楽とともに蘇る風景があります。
大事なものを呼び戻す手段にこのプレイリストはなるんじゃないかな?と思い母親の話しを聞きながら、このプレイリストを作りました。
この音楽の頃には僕も産まれていません。
でも、音楽でタイムスリップをしてみませんか?
「日本の昔はこんな感じだったかも、、、」
と音楽を通じて思いを更けるのも悪くないかも知れませんよ!!
~爺ちゃんと婆ちゃんに送るわたしのplaylist~
・Apple Musicのプレイリスト
・Youtubeのプレイリスト
・各曲の曲紹介
↑この順番で載せてあります。
流してお聴きの方はプレイリストをご覧ください。
曲の中身は私なりの紹介文です。
もしみてくれたら嬉しいです。
・Apple Musicのプレイリスト
・Youtubeのプレイリスト
・各曲の曲紹介
東京ブギウギ / 笠置シヅ子
1947年12月公開の日本映画「春の饗宴」劇中歌 です。
当時の歌手は直立不動で歌うのが通例であったが、笠置シヅ子は映像の通り歌い踊りました。
終戦後の日本でそれはとてもセンセーショナルだったんだと思います。
抑圧された生活の中から、貧しいながらも解放されていく感覚だったのでしょうか?沢山の方が彼女の歌う姿に何かを感じていたんだと思います。
東京キッド / 美空ひばり
東京キッド / 美空ひばり
1950年7月20日に当時13歳だった美空ひばりのシングルとして発売され、
同年の9月9日には同タイトルで映画としても公開されたそうです。
子供の頃から不思議な魅力を持ち続けた美空ひばりさん。
これほどのエンターテイナーに出会える日がまた来るでしょうかね?
60年以上前の映像にも関わらず圧倒されてしまいます。
銀座カンカン娘 / 高峰秀子
1949年8月16日に公開された映画「銀座カンカン娘」 であり、その主題歌としてこの曲は使われました。
この映画は見たことがないのですが、あらすじを読むとうたスキの高峰秀子と先程東京ブギウギで紹介した笠置シヅ子でした。
二人は画家として絵の具や声楽家としてピアノを買う為に、銀座のバーで歌を歌うなどそんなことからストーリーが進んでいくそうです。
銀座という場所は東京でも昔から人の集まる場所でした。
「銀ぶら」という言葉は大正時代に生まれたそうです。
銀座って金銀の売買や貨幣を作って所ですよね。
まー、大分前から普遍的な場所なのでしょう。
青い山脈 / 藤山 一郎・奈良光枝
1949年に公開された映画「青い山脈」の主題歌として発表されました。
この曲は藤山一郎さんの歌として有名ですが、デュエット曲だということ、ご存じでしょうか?(←私は今回調べて初めて知りました~。)
奈良光枝さんは1977年に亡くなられ、その後も藤山一郎さんが多く歌われた為ソロイメージがついたのかも知れません。
映画の中ではこんなラブレターがあります。
「”変”しい、”変”しい新子さま、僕は心の底からあなたを”変”しているのです」「ぼくの胸はあなたを思う”脳”ましさでいっぱいです。ぼくは”脳”んで”脳”んで”脳”み死ぬかのではないかと思います」
変は恋の間違いで脳は悩の間違いで、
戦後の恋愛に対する意識が低い為の語彙力を表しているのでしょうか?
それともこういう恋愛を少しでも他者から隠そうという言葉遊びなのでしょうか?
船頭可愛や / 音丸
NHK朝ドラ「エール」を見た方はご存じではないでしょうか?
1935年発売のこの曲は作曲家の古関裕而が1931年にコロムビア専属となって4年、歌謡曲で初の大ヒット作品で、三浦環が気に入り後にレコード化している。要は窪田正孝が柴咲コウに気に入られということです。(朝ドラ上)
素晴らしく美しいイントロです。
夜来香 / 山口淑子(李香蘭)
山口淑子さんは1920年生まれで戦前の中国(中華民国)と満州国、日本、香港やアメリカで映画や歌などで多彩に活躍された方です。彼女は日本の敗戦時に上海におり、漢奸罪という容疑で中華民國の軍事裁判に掛けられましたが、日本人であることが証明され中国人としての罪には問われず、国外追放をされた過去があります。
裁判官とのやり取りで気になったやり取りがあります。
無罪の判決を下す際、裁判官は
「この裁判の目的は、中国人でありながら中国を裏切った漢奸を裁くことにあるのだから、日本国籍を完全に立証したあなたは無罪だ。しかし一つだけ倫理上、道義上の問題が残っている。それは、中国人の名前で 『支那の夜』 など一連の映画に出演したことだ。法律上、漢奸裁判には関係ないが、遺憾なことだと本法廷は考える」と付言を加え、
李香蘭は「若かったとはいえ、考えが愚かだったことを認めます」と頭を下げて謝罪した。
この裁判官はご立派だと思いました。
物事の簡便さを求めていく時代にもっと簡単な判決はあったと思います。
そこには人と人との心のやりとりを垣間見えました。
その後アメリカでの活躍や参議院議員を3期務めるなど多才に人生を全うされました。
もともとこの夜来香は中国の歌謡曲で1944年に上海で彼女が歌い発売されました。ただこの歌は中華人民共和国の建国後は中国政府により、聴くことも歌うことも禁止されたそうです。
日本に帰国後1950年に日本語訳にて日本で発売されました。
蘇州夜曲 / 李香蘭(山口淑子)
この曲は1940年公開の李香蘭主演の映画「支那の夜」の劇中歌として発表されました。
この曲は大変多くのアーティストがカバーしています。
上海の程近くに蘇州という水郷の街があるそうなのですが、そんな風景を思わせるような美しい歌詞です。
サーカスの唄 / 小林旭
1933年に日本に初めてサーカスがきたそうです。ドイツのハーゲンベック・サーカスが団員約150人と動物182頭を連れて来日してきました。東京・名古屋・福岡・大阪などを公演し、どこも満員の大成功だったそうです。おそらく当時娯楽の少ない中でとてもセンセーショナルなことだったのだと思います。そしてこのサーカスの宣伝のために作られたのがこの歌。
サーカスが帰った後も、この歌は祭事の客寄せや広告宣伝によく使われたそうです。
今ご年配の方々はそんな原風景を思い出す一曲なのではないかなと思います。
影を慕いて / 藤山一郎
本日最後は1932年発売の「影を慕いて」です。
古賀政男さんをご存じでしょうか?上のサーカスの唄やその他多くの名作を残され国民栄誉賞も授与された作曲家です。
彼はこの発売の4年前に自殺未遂を起こしています。
その朦朧とした意識の中で作ったのがこの歌。
~最後に~
昔の方々が現世の人間とどう違いがありましょうか。
とても叙情的な歌ばかりでした。
多分、自分も80歳くらいになったらリップスライム聴いて懐かしむ日が来るんですよ。
何を言っているか分かりますでしょうか*1
anyway,,,
以上、9曲で御座いました。
音楽は誰のモノ??
Yes!!Everybody!!ってな訳でジャンルレスで月水金にplaylistを紹介して参ります。
このブログではプレイリストを永遠更新して参ります。
お付き合いしてくれる人がいたら嬉しいです。
それではさようなら( `ー´)ノ
*1:笑